斯く言う私は、離島の出身者である。幼い頃には、台風が接近すると何故かソワソワし、危険を承知で防波堤にわざわざ出向き、逆立つ波と防波堤にぶつかる波しぶきと戯れたりしたものである。(今思えば、ずいぶんと危険な遊びに興じていたものであり、親には心配ばかりかけていたことを反省する。。。)
台風18号接近中!
大型の台風18号が近づいて来ている。既に通過した宮古島では、50年に一度の大雨をもたらし、強風による電線の切断により停電等の被害がもたらされている。
私が小学生の4年生くらいの時である。お盆明けに台風がやって来た。中型の台風だったが、速度が早く、わずかな時間での通過で、大きな被害も無かったのだが、遠洋漁業の漁師の父親は、お盆の休暇明けの航海への足止めをくらっていた。父が「台風一過、もうすぐ船出だなぁ。」と声を漏らした。当時まだ幼稚園に通っていた父親を大好きだった弟は、「船は、いつ出るん?」と父親に聞き、寂しそうな様子だった。父親が空を伺いながら、雨が止んだのを確認し、「ちょっと船ば、見てくるばい。」と言い、家を出ていった後、弟がこう尋ねてきた。
弟:「兄ちゃん、今の台風は、お父さん台風やね。」
僕:「ん? お父さん・・・台風・・・? 何かわからん。」
弟:「ほら、テレビに台風が出とるやろ、やけん、この今の台風がお父さん台風で、次がお母さん台風、そして、こっちの小さいのが子供台風なんばい。」
僕:「何で? おとうさんとかお母さんとか無いばい。」
弟:「ある。お父さんが、さっき、台風一家、って言うてた。やから、お父さん、お母さん、子供があるとばい!」
僕:「(爆笑)はっはっはー。 そうか、そうやな。そいでよか。」
弟は、まさに「台風一過」を『台風一家』と勘違いし、その上、テレビのニュース画面に出ていた天気図にある台風の印を「お父さん」「お母さん」「子供」になぞらえて、『一家』にしてしまったのである。
幼い頃の台風の思い出
私は、今でも台風のニュースを見ると、このエピソードを思い出す。私の年齢からすると、もう40年程も前のことなのに。
僕たちの父は、それから4年後の5月に船の事故で亡くなった。大好きだった父の亡骸を見てその柩に弟がすがりつくように泣いていたのを今も思い出す。中学2年生だった私は、遠洋漁場先から戻ってくる船へ父を迎えに行き、棺桶に収めるまでの作業を見守ってきたが、「しっかりしんと。」との気持ちで涙を流す時間も無かった。棺桶にすがる弟が羨ましく思えていたのを思い出す。
私も弟も既に父親が亡くなった年齢を超え、完全にミドルと呼ばれる世代になった。先日、弟と会った時に台風が接近していた。弟に、「今度の台風は、お父さんか?、お母さんか?」と聞いてみた。 弟は、「今回のは、少年台風やな。成長期やけんね~。」とすかさず答えてくる。 このエピソードは、弟にも共通の様である。
離島で育った私たち兄弟には、台風が来ると、ソワソワする遺伝子がある様である。怖いと思う反面、備えあれば憂いなし、と思い、何故か食料を多めに買って帰ったり、乾電池や明かり取りのアウトドア用のキャンドルやランプを用意してしまうところがある。都会に暮らしていても、そのへんは変わらない様で、弟も同じような行動を取っている様である。 育ちと言うのは、怖くも面白くもある。