9月の半ばに「敬老の日」がやってくる。

祝日の改変が行われる前は、決まって9月の15日だった。

今年は、18日の月曜日が「敬老の日」である。

以前は私の中で「敬老の日」は、弟の誕生日、彼は9月15日生まれである。

弟と6つ離れているので、僕が6歳の時の9月15日、僕は病院にいた。

親「敬老の日」の祝日だったので、幼稚園で作った祖父と祖母の似顔絵と工作物を持って祖父宅を午前中に訪ね、昼食(祖父母が自治会からもらった赤飯かなんかだったと思う。)を食べさせてもらい、その後、一人で病院の病室を訪ねた。

戚のおばさんがいて、「もう、お母さん、赤ちゃんを産むとこに行ったよ。」と、僕に告げた。

母親と同じ病室には、出産を控えた同級生のお母さんもいたが、こちらを見ているだけで、声をかけてくれる事もなく微笑み投げかけてくれるわけでもなかった。

母親のいない病室で一人待つことに不安をおぼえた僕は、病院内をウロウロとしたが、祝日で人影の少ないのに相俟って木造の古い病院は、電気が落とされていて、薄気味悪く、6歳児の僕は恐怖を感じ、母の病室に戻ってしまった。

祖父母 1

おばさんと母親のベッドの傍にあったパイプ椅子に腰掛けてじっとしていたのだが、午後2時半を回ったくらいに時折廊下に出て様子を伺っていたおばさんが、「そろそろ赤ちゃんが生まれるみたい。」と言い、荷物の中から色々と準備をはじめていた。

僕は、自分の居場所が無いような気がして、病室を出て右手の奥の非常口の傍にあったベンチに座り待っていた。

気が付くと、おばさんに肩を揺すられ起こされた。

既に日が落ち始めた様な感じの中で、「弟のできたよ。男の子だったよ。」と僕に伝えた。

病室には、既に母親が戻り、傍らに弟がいた。(当時は、保育器とか無かったと思う。)

自分 3

テレビで見たことのある赤ちゃんにはほとんど髪の毛が無かったが、弟にはちょっと濃い髪の毛が生えてた。

兄弟が増えたという実感は無く、弟の存在で生活が変わる様な感覚におそわれた。

3つ下に妹がいるのだが、妹をはじめて見たのは、自宅だったと思う。

その時に、しばらくが妹中心の生活で、たくさんのおしめと哺乳瓶のミルク臭さが思い出されたのだと思う。

赤ちゃん 2

以来、私の中で「敬老の日」は、弟の誕生日なのである。

弟が幼稚園に通いだすと「敬老の日」は、午前中を祖父母のところで過ごし、昼からは、弟の誕生会なんかが我が家の「敬老の日」の一日になった。

私の育った街では、「敬老の日」には、60歳以上の家庭には、自治会や婦人会なんかで用意したお祝いの折膳が振舞われていた。

「敬老の日」の前日とかには、幼稚園児が老人ホームやシルバーセンター等の施設に出向き、お遊戯を見せたり、歌を唄ったりするイベントも用意されていて、私もその様なイベントに駆り出されていた事を思い出す。

今では、私たちの街は、過疎化が進み、町村合併で町の名前が無くなり、100年以上続いた母校の小学校も廃校となってしまった。

同級生や近所の先輩が役場の職員となり、今も私たちの街で生活をしているが、私たちが幼かった頃の賑わいは、遠い昔のことである。

金曜日、9月15日、弟にLINEで、「誕生日おめでとう」とだけ、送っておいた。

直ぐに「ありがとう」との返信が届いた。

「敬老の日」を思い出すに、私の祖父母ももう他界して久しい。

今は、私たちの母親が「敬老の日」で祝ってもらう様になってしまった。

来週には、彼岸の入りである。

永平寺 4

墓参りをしたいと思うが、故郷が遠くなった今、宗派の大本山である永平寺に行き、墓参りの代わりに参拝してこようと思う。